商標・知財コラム:首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士 工藤 莞司 先生

私の山歩き里歩き四季紀行
本場山形の紅花畑を巡る

 友人Sさんから車で山形行きのメールがあり、飛び付いた。この時期山形では紅花が咲く頃で、ネットで調べると山形の紅花の里高瀬でお祭り開催中と知り、グッドタイミング。それから天童の舞鶴山を歩きたい。

 紅花と山形 紅花は山形の名産であった。安土桃山時代から江戸時代にかけて京染めや口紅などに使われ、江戸期中頃より出羽の山形周辺においても盛んに栽培されるに至り、享保年間(1716-1736年)には、全国の約4割が出羽最上産とした記録があるという。最上川を利用し、紅花商人達は、山形から原料紅餅を京へ、帰り船には日用品を積み持ち帰って各地に商い、最上川中流付近には多くの豪商が出現した。奥の細道羽州路で、芭蕉も、"まゆはきを俤にして紅粉の花"と詠んだ。明治になって中国からの輸入や化学染料の出現で廃れてしまったが、現在では歴史を伝え、観光用に僅かながら栽培されている。

 山形高瀬紅花の里 都内を5時過ぎに出発し、山形北ICを降りたのは9時頃であった。山形市郊外の高瀬地区は、私は初めての地で、カーナビは正確で高瀬地区に入り、紅花祭りの幟が見付かった。駐車場を出て、紅花畑を巡る。畑4枚程に紅花は咲いている。黄色の中に濃い橙色の紅花色が混じる。私はSさんに先行し、畑端の野良道を出入りして、紅花の間を巡り歩く。
 しかし、少し物足りない。本場山形も高瀬の紅花の里としては、栽培の花が少ないのではなかろうか。周囲一面咲き誇る紅花風景は、期待しすぎだろうか。祭りが始まり、紅花娘より紅花の束を貰った。
 天童舞鶴山 天童道の駅に降して貰い、舞鶴山へ向け歩く。舞鶴山は天童市内にある弧峰の里山で、公園。東山裾の愛宕池の近くには、当地出身佐藤千夜子の顕彰碑があった。わが国最初のレコード歌手で有名。舞鶴山は約70年振りか。生家のある東根から遠足で来て、将棋駒作りを見た後、天童温泉千人風呂に入ったと思う。往復約20㎞徒歩であった。当地で人間将棋があり藤井聡太五冠が指したと知ったが、私は反対側の芭蕉句碑がある建勲神社に参拝。信長が祭神で、幕末の天童織田藩主が祀ったという。句碑“原中や物にもつかづ鳴く雲雀”が隣にあった。天童駅へ歩いた。途中は芭蕉達が歩いた奥の細道で、“行く末は誰肌にふれむ紅の花”の句碑や曾良日記を刻んだ碑もあった。天童南駅で、Sさんに拾って貰い帰途に就いた。
(2022/7/10)

首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士
工藤 莞司

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工藤 莞司 先生
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