商標・知財コラム:首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士 工藤 莞司 先生

酒と商標の話二題
登録制度施行前から使用されていた清酒の商標

 先日、茨城阿字ヶ浦に酒列磯前神社を訪ねた。亜熱帯樹林に覆われたトンネル参道から、本殿、拝殿に参拝。856(斉衡3)年創建の古社。変わった社名は、醸造の神、酒の神とあるが由来はない。奉納された地酒の樽を並べた社殿があり、”白鹿”が目に付いた。灘ではなく当地石岡のもので、商標が被っていることを思い出した。石岡は筑波山系の清冽な水に恵まれ、関東の灘と称される酒どころといわれ、古くから酒造りが盛んで、市内の酒造業の起源は、元禄期以前にさかのぼるとネット情報にある。

 清酒界には二頭いた白鹿 大分前のことだが、調べたことがある。最初の商標登録制度明治17年の商標条例下で、「清酒」については、初期に登録されたものだけでも、商標「白鷹」、「白鶴」、「白雪」、「劍菱(図)」、「澤の鶴」、「白鹿」などがあり、いずれも灘や西宮の清酒の商標である(特許庁編「工業所有権制度百年史 上巻」132頁参照)。この中の「白鹿」(登録第916号)は西宮の清酒である。
処が、明治42年商標法で、茨城石岡の清酒「白鹿」(登録第62397号左図参照)が合法的に登録された。明治32年7月以前からの善意使用については、重複登録され得たのである(明治42年法3条2項)。西宮の清酒側は、石岡の商標登録に対して、不正目的があり善意使用ではないとして、無効審判請求をしたが、善意使用として不成立とされた(大正5年7月31日 審判第3010号上訴棄却)。
清酒については登録商標「白鹿」が併存していたのだ。西宮の清酒「白鹿」がその後水戸で販売されるようになって市場が競合し無効審判事件となったようである(拙稿「商標アラカルト 清酒の商標にみるわが国商標の歴史」発明81巻(1984年)6月号38頁)。現在調べると前掲登録第62397号商標権は移転され、西宮側の登録になっている。

 慣用商標と桜正宗 明治17年の商標条例が施行されて、江戸期から清酒に「正宗」を使用していた灘の山邑酒造が出願をした。処が、既に「正宗」は多くの酒造業者に使用されていて慣用商標として、登録不可と知ったという。明治17年の商標条例5条3項でも、慣用商標は登録できないと規定されていた。山邑酒造の「正宗」は下り酒として江戸で評判になり、他の多くの業者も「正宗」を冒用して出回り、清酒の代名詞の如くになってしまっていたという。
やむなく「桜正宗」として登録(第981号右図参照)を得たとある(「櫻正宗誌」山邑酒造(株)編1934年発行より)。
 現行商標法3条1項2号に規定する「慣用商標」の代表例として、商品「清酒」については「正宗」が挙げられている(特許庁編「商標審査基準」15版34頁)。これは、前掲の経緯をルーツにしていると思われる。

首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士
工藤 莞司

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