商標・知財コラム:首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士 工藤 莞司 先生

知財法レジェンド達の今も遺る足跡
私の街角歩きで出会い功績を思い出す

 私の趣味は山歩き里歩きだが、最近は時節柄、都内や近郊の史跡や公園等巡りである。そんな中、知財法で功績を上げられた先人達の足跡にも出会った。

 高橋是清公園 赤坂の豊川稲荷へと坂を上がり青山通りへ出て、豊川稲荷神社に詣でる。隣は赤坂御所で、反対側のとらや、草月会館前から少し歩いて、高橋是清公園に寄る。奥に鎮座する是清公像に挨拶。総理大臣を務めたが若い頃、私の旧勤務先の初代商標登録所長でもあった。
 わが国最初の明治17年商標条例の制定者で、その後の活躍は私が紹介するまでもない。手許には写本だが、高橋是清検閲、小野次郎著「商標條例解説」(明治17年)がある。当公園は高橋邸跡で、建物は都下小金井の江戸東京たてもの園に移設されている。 (2022/5/28)

 神鞭知常顕彰碑 丹後の天橋立で、廻旋橋を渡る前道を誤って料亭の庭に迷い込み、”神鞭知常”の顕彰碑前へと出た。偶然に驚きながらも、案内板をデジカメに収めた。
 彼は、我が国最初の明治17年商標条例を起案し主導した方。今回の京都の会合もその関係者の大会。百年史編纂過程で調べた先輩のGさんも出席されておられて話したら、神鞭氏の経歴等で話しが弾んだ。高橋是清公より前の関与で、後に内閣法制局長官も務められた。 (2010/9/2)

 鈴木駅を通過 京急大師線は川崎大師を参拝した時一度乗っただけ。小野新田駅発川崎駅行きは、途中鈴木駅を通過。旧味の素駅で、味の素の創業者鈴木家に由来する珍しい駅名。
 同家出身の鈴木竹雄東大名誉教授を思い出した。担当していた研究誌の創刊時に巻頭言をお願いし快く書いて頂いたことがあった(鈴木竹雄「特許法昔語り」特許研究No.4 1987)。先生は商法がご専門であったが、現行法制定直後のジュリスト主催特許法セミナ座談会に、兼子一弁護士外と出席されて、博識を披露されている(有斐閣「特許法セミナ」昭和44年外収録)。 (2022/05/05)

 赤坂迎賓館庭を見学 赤坂迎賓館の庭園を見学。大クスが出迎えてくれた。鬱蒼と繁り並ぶ常緑樹の大木は美しい。本館の前へ出て、主庭とあるがこの時期咲く花は乏しい。迎賓館本館へ向けシャッターを切った。前庭へ回るがこちらも何もない広場風。案内板があり、紀州徳川家の中屋敷跡で、明治期は東宮御所とある。その中に、戦後内閣法制局として利用されたとあり、思い出した。
 現行工業所有権法案の審議も迎賓館で行われたと聞いていた。昭和25年頃で、帰宅後百年史を捲ると、“当時の内閣法制局は、古びた赤坂離宮の中にあり、くる日もくる日も通って、朝から晩まで法案の審議をしていただいたように思う。・・・昼休みに裏庭でわれわれと参事官の方々とソフトボールをして遊んだ”(「工業所有権制度百年史別巻」564頁)とあった。 (2022/3/5)

 末弘博士が眠る染井霊園 豊島区の染井霊園内となり、桜の時期に巡ったことがある。有名人の墓石の案内があり、文士が多い。その中で、末弘巌太郎が目に付いた。戦前の東大教授の法学者で、私の書棚にも著作本(「工業所有権法」新法学全集昭和17年)があり、最近も学者による最初の解説書と紹介した。商標の類似に関する有名な判例(「氷山印事件」昭和43年2月27日 最高裁昭和39年(行ツ)第110号 民集2巻2号239頁)があるが、そのベースは末弘説と言われる。 (2022/2/12)

首都大学東京 法科大学院 元教授 元弁理士
工藤 莞司

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