商標・知財コラム:特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士 峯 唯夫 先生

「高輪ゲートウエイ」駅

■ 「高輪ゲートウエイ」駅開業
2020年3月14日、山手線、京浜東北線に「高輪ゲートウエイ」駅が開業した。山手線では1971年開業の「西日暮里」駅以来、京浜東北線では2000年開業の「さいたま新都心」駅以来の新駅開業となる。田町駅と品川駅の間に位置し、住所は港区港南ですが、隣接する町名として「高輪」があります。
今回のコラムでは、駅名変更署名活動もあった、この駅名に焦点を当てつつ、「駅名のブランド名称化」を考えてみることにします。

■ 古来、駅名は「地名」を採用していた
JRになる前の「国鉄」時代、鉄道の駅は「一村一駅」が原則とされており、駅名の多くは「村名」であった。村名以外では、近くの神社仏閣の名前や旧宿場の名前が多く採用されていたようである。山手線でも同様である。「目白」は不動尊の名称。目黒にも不動尊があるが、目黒は地域の地名であり、当時の地名に目白はなかったようである。「新宿」「品川」は旧宿場の名称である。山手線開業時の駅名で異質なのが「恵比寿」駅。ヱビスビールの商品搬出のための貨物駅が発祥であるために、「商品ブランド名」が駅名とされ、町名となったのは1966年である。
従前の流儀に乗れば、新駅の名称は「高輪」です。新駅命名公募件数の第一位です。

■ 駅名はブランドを目指す?
駅名が地域開発と密接な関係にあることは、今では広く知られているところですが、鉄道と地域のブランド化を結びつけたのは、あの小林一三の阪急であり、ブランド化を目指した駅名は、、五島慶太の東急「田園調布」駅が最初だといわれています。東急が「田園都市」として開発する分譲地との繋がりが見えます。「たまプラーザ」も同様です。駅所在地の町名は「元石川町」であるところ、地域のシンボルとなる名前として採択されたようです。分譲地のブランド化のために駅名を利用したのでしょう。
開業が新しい路線では、地名以外の駅名が多く見られます。りんかい線では、「国際展示場」(有明)、「東京テレポート」(青海)、「天王洲アイル」(東品川)、「品川シーサイド」(東品川)と施設名が4駅続きます。埋め立て地であってよく知られた地名もない、ということで施設名を駅名としたことはやむを得ないのかもしれませんが、地域の「ブランド名称」を意識しているのではないかと思います。他方、前掲の「さいたま新都心」駅は、明らかに地域のブランド化を狙った命名でしょう。 

■ 再び「高輪ゲートウエイ」
「高輪ゲートウエイ」駅が設置された再開発地域は、国鉄時代からの電車区(電車の基地)や機関区の跡地です。電車区などは今もまだ残っていますが、「新宿湘南ライン」や「上野東京ライン」など、新ルートの開発は品川地域の電車区をなくすことにも大きなネライがありました。電車の留置を東京近辺ではなく近郊(高崎線の篭原など)にするためです。
品川・横浜間に鉄道が開通して以来(明治5年5月7日に仮開業。新橋開業は10月14日))、品川は鉄道の街でした。その地域が、2015年から「グローバル ゲートウェイ 品川」という名のプロジェクトとして再開発されてきたのです。
JR東日本は、命名の由来を次のように発表しています。「この地域は、古来より街道が通じ江戸の玄関口として賑わいをみせた地であり、明治時代には地域をつなぐ鉄道が開通した由緒あるエリアという歴史的背景を持っています。
新しい街は、世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点の形成を目指しており、新駅はこの地域の歴史を受け継ぎ、今後も交流拠点としての機能を担うことになります。 新しい駅が、過去と未来、日本と世界、そして多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展に寄与するよう選定しました。」
「世界中から先進的な企業と人材が集う国際交流拠点」となる新しい街の駅として、駅名公募トップの「高輪」という地名だけでは足りず、「ゲートウエイ」の文字が外せなかったようです。「街のブランド化」に寄与する「駅名」という位置づけなのでしょう。

 

特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士
峯 唯夫

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