商標・知財コラム:特許業務法人レガート知財事務所 所長・弁理士 峯 唯夫 先生

藩校の名称と商標権

■ はじめに
今回のコラムを書くためにネットで探していたら以下の記事に出会いました。
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「弘道館」の商標無効求める
 幕末に大隈重信らも学んだ佐賀藩の藩校・弘道館の名称を巡り、佐賀県は(11月)21日、旧藩主鍋島家子孫の女性が所有する「弘道館」の商標登録を無効とすることを求め、特許庁に審判を請求する方針を発表した。28日開会の県議会に、関連議案を提出する。

 県は2017年から「弘道館2」という名称を使って、県民らに向けたセミナーなどを開催。県によると、女性は昨年11月、「意味が同じで、少なくとも類似することは明らかだ」として商標権の侵害を訴え、県に500万円の損害賠償を求めて提訴し、東京地裁で係争している。
 (出典「佐賀新聞Live」 https://www.saga-s.co.jp/articles/-/456715
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■ 登録商標
「弘道館 」(第41類 第5621361号)

審判請求日 : 令和1(2019)年 8月 26日
審判番号 : 2019-300656

■ 「徳川の紋章」異議事件
この事案を見て思い当たったのは「徳川の紋章」事件(異議2016-900059)です。この異議決定では概略以下のように認定し、4条1項15号に該当するものとして登録を取り消しています。
(1)引用使用標章は、水戸徳川家を表示する家紋ないし申立人を表示する標章として、著名なものであり、申立人(徳川ミュージアム)により管理されているものであって、本件商標の登録出願時には著名性を獲得していた。
(2)本件商標は、引用使用標章と極めて類似する商標ということができる。
(3)本件商標の指定商品等と申立人の業務に係る商品等との用途又は目的における関連性があり取引者及び需要者が共通する
(4)商標権者が本件商標をその指定商品又は指定役務に使用した場合には、これに接する取引者、需要者は、申立人が管理する著名な引用使用標章を連想・想起し、水戸徳川家ないし申立人と経済的若しくは組織的に何らかの関係を有する者の業務に係る商品又は役務であるかのように誤認し、その商品又は役務の出所について混同するおそれがあるものといわなければならない。

■ 佐賀藩の藩校「弘道館」
佐賀県のHPでは以下のように記されており、「弘道館」への誇りが伝わってきます。
佐賀藩第10代藩主・鍋島直正は、17歳で藩主になると、自身が幼いころから藩主になるまで学んだ古賀穀堂とともに「教育改革」に着手します。優秀な人材の育成こそが、藩政強化に繋がるという強い信念のもと以前からあった藩校・弘道館の敷地を3倍近くに拡張し、本館や大講堂、武芸場、寄宿舎を設けました。(中略)
優秀な成績を修めると、江戸や大阪へ出て学ぶことができたり、藩の役人となる道が開かれたりしました。こうして勉強してきた生徒たちは、全国の優秀な生徒が集まる江戸の学問所でもトップクラスの実力を発揮しました。
その中には、明治の新しい時代の基盤をつくった、佐野常民や大隈重信といった偉人たちの名前もあがります。佐賀藩が近代化のトップを走り続けたのには、「人」を育てる「教育」が大きくかかわっていました。
 (出典:佐賀県HP https://www.kodokan2.jp/main/14.html)

■ 「弘道館」は佐賀藩だけではない
(1)水戸「弘道館」
Googleで「弘道館」を検索すると、水戸藩の「弘道館」がトップに出てきます。そのサイトでは次のように記されています。
「旧水戸藩の藩校である弘道館(こうどうかん)は、第9代藩主徳川斉昭が推進した藩政改革の重要施策のひとつとして開設されました。
(略)藩校としては全国一の規模でした。敷地内には、正庁(学校御殿)・至善堂の他に文館・武館・医学館・天文台・鹿島神社・八卦堂・孔子廟などが建設され、馬場・調練場・矢場・砲術場なども整備され、総合的な教育施設でした。
 (出典」「観光いばらき」 https://www.ibarakiguide.jp/kodokan/about.html
更に、Wikipediaによれば京都にも「弘道館」があったとのことです。
(2)京都「有斐斎弘道館」
弘道館の石標「弘道館」は、学問所というほどの意で、江戸時代には全国に見られました。京都・上京に位置するここ弘道館は、江戸中期の京都を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん/1734-1807)が1806年に創設した学問所で、私立大学の先駆とされています。
 (出典:「有斐斎弘道館」HP https://kodo-kan.com/aboutus/
(3)その他
弘前藩、谷田部藩、茂木藩、黒川藩、福山藩などにも「弘道館」があったようです。

■ 「徳川の紋章」との異同
(1)権利者
「徳川の紋章」では、権利者は徳川家とは無関係な一般企業でしたが、「弘道館」商標の権利者は「旧藩主鍋島家子孫」であるとのこと。権利者はおそらく権利保有の正当性を主張するのでしょう。
(2)使用実績
権利者は、「武士道を教えている弘道館の館長をしてます鍋島藩藩校の幕末館長、鍋島安房直孫が本物の武士道を教えます。という紹介文のブログを開設しており、2011年10月に「弘道館 開校記念講演」という記事を掲載しています
https://ameblo.jp/koudoukan1/entry-11062955732.html)。本件商標の出願が2012年12月ですから、一応対応したものと思われます。開校記念講演後の活動は調べ切れていません。
他方佐賀県の「弘道館2」は2017年の開校であり、本件商標の出願、登録時に使用実績はないようです。
(3)混同のおそれ
佐賀県での「弘道館2」の使用開始は「弘道館」の登録後なので、商標権者が商標「弘道館」を使用した場合に混同の対象となるのは佐賀県の事業ではなく「鍋島藩の弘道館」です。異議申立人との混同が認められた「徳川の紋章」とは大きく異なるところです。

■ むすび
(1)権利者
係争中の事案なのでこれ以上踏み込みませんが、佐賀県は種々の条文を駆使して論を展開していることと思います。難しい事案であり、審決が楽しみな事案でもあります。

 

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