商標・知財コラム:一橋大学名誉教授 弁護士 土肥 一史 先生

熊本産のアサリ

 これからのゴールデンウイーク、博多湾はかつて家族連れでの潮干狩りで賑わった。今でも、室見川河口など博多湾には干潟も残っており、大潮なら家族で数キロのアサリの収穫も可能と聞く。

 アサリは熊本産のものが有名であり、1970年代には年間6万トンを算出し、全国の出荷量の4割にも達していた。しかし、その後の川砂、海砂の採取やエイやカモによる食害の影響などからアサリの生育環境が悪化し、漁獲量は、令和2年では21トンにまで落ち込んでしまった。ところが不思議なことに、令和3年10月から12月の3か月の熊本県産アサリの全国出荷額は2485トンに達していた(農林水産省推計・産経新聞)。この摩訶不思議な現象からは、産地偽装が容易に思いつく。

 産地偽装は、消費者庁が所管し、農水省等に関係する食品表示法と、経済産業省が所管する不正競争防止法で犯罪として規制されている。前者では、販売者に対して2年以下の懲役又は200万円以下の罰金が、そして後者では、「不正の目的をもって」という要件が加わるものの、販売等をした者に対して5年以下の懲役若しくは500万円以下の罰金が科される。

 食品表示法に先行する旧JAS法では3ノックアウト制と揶揄され、行政庁の命令に違反しても2度までは罰せられず、3度めに至ってようやく罰せられる罰則規定となっていた。JAS法を受け継いだ、食品表示法でもそうした名残は残るものの、産地偽装には直罰制度を採用し、他に要件を加えることもせず、この問題には厳しい姿勢は一応示している。

 ところが、熊本アサリ原産地偽装問題は広く報道されたにもかかわらず、今日に至るまでいずれかの流通段階にある業者が検挙されたという報道を目にしない。その理由はさまざまに推測されるが、産地偽装による被害者が広範にわたるほか、産地偽装を行った業者も広範にわたるところにあろう。特に、全ての業者が産地偽装を行っている場合、産地偽装によって営業上の利益を害される正直な業者がいないことになる。いわゆる、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。

 産地偽装を始めとする誤認的表示行為に対して、民事上の救済を消費者個人が求めることはできない。適格消費者団体による差止請求の他、内閣総理大臣(農水大臣)へ申し出て適切な措置をとらせるにとどまる。また、不正競争防止法上は、差止請求と損害賠償請求が可能であるが、これらの請求主体は、営業上の利益を害された者、つまりアサリ事業者であって、欺された消費者ではない。

 結局、消費者は欺され損であるが、産地偽装にはどう対応したらいいだろうか。消費者庁や、熊本県で現在検討されている、アサリのトレーサビリティを確保する仕組みなどの取組みも有効であろうが、やはり産地偽装など誤認的表示行為による利益の没収の制度が効果的なのではなかろうか。この制度は、営業秘密の侵害罪に関連して設けられているが、営業秘密侵害のように侵害者と被害者がはっきりしている場合には意味がない。被害者の被害額が少額で広範にわたり、加害者がヤリ得となってしまう食品偽装の場合にこそ有用ではないか。

一橋大学名誉教授 弁護士
土肥 一史

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