商標・知財コラム:一橋大学名誉教授 弁護士 土肥 一史 先生

世界で最初の発明特許

 ルネサンスという時代区分についてはともかく,ルネサンスがイタリア・フィレンチェで花開いたことは,日本人ならだれでも知っていよう。フィレンチェには,ルネサンス文化が数多く残っており,絵画,彫刻,建築物等が今なお世界中から観光客を引きつける。この観光都市を象徴するものが,サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。ドゥオーモとも呼ばれる,この大聖堂は高さ107メートルに達し,当時は世界一の威容を誇った。

 ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi,1377-1446)は,ミケランジョロやダ・ヴィンチほどに有名ではないが,健脚を誇る観光客が登りたがるドゥオーモの天蓋:クッポラにその名を残す。この大聖堂は,13世紀末に工事を開始したが,124年たっても肝腎の天蓋の設計及び工法が決まっていなかった。余りにも高く,余りにも大きな天蓋であり,従来の工法通り足場や型枠を組むことが困難であり,たとえ組んだとしても莫大な費用を要した。ブルネレスキはこの難問を解決し,二重の楕円形壁構造により,内側を石壁で外側をレンガの積み上げ方式を提案し,完成した天蓋が今日のドゥオーモのクッポラなのである。

 これだけでは,知財のコラムになじみにくいが,彼にとって問題となった1つが,材料の運搬であった。特に,重い大理石は最寄り港のピサからアルノ川を船でフィレンチェに輸送するが,このアルノ川は水量も少なく,浅かったため大きな船が使えなかった。そこで,彼は船底の浅い輸送船を開発したが,船であるだけに他人による盗用・模倣を防ぎにくい。このため,彼は全体を各部材に分け,多くの業者に分担製造させて,全体を把握させないようにした。同時に,フィレンチェの元首に有限の排他的権利を求め,元老院はこれに3年間の特権を与えた。この特権が,世界で最初の新規な発明に対する特許であったとされている。つまり,それまでも特権の付与はままあったが,いずれも他国にある既存の技術を自国に導入するための特権の付与で,新規な技術的創作に対するものではなかった。

 この特権の侵害には,侵害組成物廃棄請求が認められるなど,その後の1474年のヴェネチア特許法との共通性も確認される。特許の効力として,アルノ川その他の湖川,池沼における貨物等の輸送等のための船舶その他装置全般に及ぶものの,既知・既存の船舶その他の装置はこの特権の効力には含まれないこと,そして新規の船舶又は装置であってもブルネレスキの同意の下に製造される船舶又は装置には含まれないことが定められている。

 ただ,ブルネレスキの発明特許には後日談がある。大聖堂建設所轄官庁とピサからフィレンチェまでの大理石運送契約を締結し,1427年と1428年に,彼の発明した船舶で大理石の輸送を試みたようであるが,浅瀬に乗り上げたかでうまくいかず,小ボートで再輸送を行っている。彼の発明した船舶は「役立たず」(Badalòne)と揶揄され,当時の納税資料が示すところでは,ブルネレスキは多大な損害を被ったことが伝わっている。

一橋大学名誉教授 弁護士
土肥 一史

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