商標・知財コラム:一橋大学名誉教授 弁護士 土肥 一史 先生

世界最初の特許法:ヴェネチア1474年法

 わが国の特許制度は1871年の専売略規則を嚆矢とするが,制度を運用する人的・物的資源を欠き1年ももたず事実上廃止された,と高橋是清が自伝で回顧している。世界最初の特許制度は,英国の1624年専売条例ではなく,ヴェネツイアの1474年3月19日法といわれる。世界最初の特許制度となると,当然ながら必要なインフラはなにもない。共和制都市国家ヴェネチアはなぜ特許制度を必要とし,どうやってこれを運用したのか。

 ヴェネチアが特許制度を必要とした理由の正確なところは分からない。この時代,証書時代(Urkundemittelalter)ともいわれるのであるから,証書はあっても立法理由書のようなものはない。ただ,詮索するしかないのであるが,この直前の1469年,グーテンベルグの活版印刷技術をヴェネチアに持ち込んだJohannes von Speyer(†1470)に特許状が与えられている。第一次産業革命をもたらしたこの技術がヴェネチアに与えた衝撃は大きかったろう。

 もうひとつに,東地中海を支配する交易国家ヴェネチアのやむにやまれぬ危機感がそうさせたのではないか。1453年5月,アジアとヨーロッパの接点でもあるコンスタンチノープルがオスマントルコによって陥落した。東ローマ帝国の滅亡である。ギリシア沿岸の属領地も奪われ,東地中海でのヴェネチアのプレゼンスが危うくなることは東西交易国家の基盤を危うくした。こうした時代背景を受けて特許制度が生まれたことは確かである。

 ヴェネチア特許法は267字からなり,条数は持たない。第1段落はプレアマブルに相当しようが,そこには発明者の名誉の保護を図ることで,有能な人材を国内外から集め,ヴェネチアの国益に資する必要がある,と述べる。

 この特許法,今日の特許制度につながる考え方を多くもっている。まず,方式主義,登録主義を採用し,Provveditori de Communを出願受理官庁とし,特許要件として,新規性と発明高度性(進歩性)さらには実施可能要件を求めている。特許期間は10年と定める。もっとも,武器・鎧のような軍事関連発明ではこれより短い5年程度が付与されているが,民生関連発明では25年から50年の期間が多い。

 また,今日的な観点からも興味深いのは,権利者に支払われる損害賠償としての機能も果たす100ドュカートの罰金を設けていたに加え,侵害組成物廃棄除去請求制度を設けていたことと,公共の利益を理由とする国による強制実施許諾制度をいち早く設けていた,という点である。侵害組成物廃棄除去請求権が特許法上設けられたのは,わが国では,昭和34(1959)年法であるし,公共の利益を理由とする政府による強制実施は,趣旨は若干異なるものの大正10(1921)年法である。

 ヴェネチア特許法が英国専売条例を初めとしてその後の特許制度にどのような影響をもたらしたのかは,今のところ明らかにできない。いえそうなことは,専売条例は国王の特許状発行権限を制約するために設けられたが,ヴェネチア特許法は国の競争力を高めるために制定されたということであり,あの規模の都市国家がこの後1797年まで地中海交易の覇権を制しつつ存続し得た要因の1つたり得たということではないか。

一橋大学名誉教授 弁護士
土肥 一史

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