商標・知財コラム:一橋大学名誉教授 弁護士 土肥 一史 先生

新年おめでとうございます,今年は商標について考えてみたいと思っております。

 商標法も産業財産権法の一翼を担う重要な法制であることはもちろんですが,商標法は他の産業財産法とは毛色が違う扱いをされていることもあるように思います。商標法(商標条例)は明治17年に制定されましたが,知財功労者を表彰するのは明治18年の専売特許条例公布の日である4月18日に行われていますし,産業財産権法の運営を司る特許庁の組織を見ても,審査第1部から同第4部の中に商標課はありません。ポストの問題もありましょうが,審査業務部の下にぶら下がっている状態です。
 先にも述べた商標条例は,1874年のドイツ商標保護法を範とした法制であると考えられていますが,商標条例を設けることには当時反対もあったようです。特に,東京商工会議所は暖簾に加えて商標までも保護する必要性に疑問を持ったようです。暖簾は主人から番頭に分け与えられるのに,商標は国から与えられるというのでは当時の商人慣習にそぐわないというところでしょうか。
 ドイツでも,1874年商標保護法が制定される際にはやはり産業界から疑念が示されていました。一言で言うと,商人の氏名や商号の他に,さらに商標までも保護する必要があるのか,当時漸く確立した営業の自由への制限を意味しないかということでした。それは,1874年法が商標を商号に強く結びつけていたという制度にも基づくようです。
 そこでは、商業登記簿に商号登記を行っている事業者だけが、他の事業者の商品から自己の商品を識別するために商品又はその包装に付されるべき“標章”を,商品目録を添付して,商業登記簿に登録することができることになっていました(同法1条,2条)。商業登記簿は,商人が商業登記を行っている地の簡易裁判所にありましたので,管理機関は裁判所ということになります。このような商標管理体制は,皇帝立特許庁が設けられた後,1894年商標表示保護法の成立まで続きました。
 産業財産権法制度の正統性について今では産業政策説が支配的ですが,かつては人格権説が説得力をもって語られていました。この学説は,そもそもRudolf Klostermann(1828-1886)が提唱したものですが,ベルリン大学教授Josef Kohler(1849-1919)で有名になり,さらに碩学Otto von Gierke(1841-1921)もこの説を支持しました。「他人よりも優位に立つことを確保しようとするために,取引上不誠実なことを試みる者は,単にその相手方の利益を害するだけでなく,その者の人格をも害する」とは,Kohlerの言であり,商標権は氏名権や商号権と同視でき,一般的人格権において共通した基根を有する,と考えられていました。この見解はドイツの後の法制度に影響を与えましたが,わが国でも明治32年商法24条1項と大正10年商標法12条1項に,商標権と商号権に共通し人格権説に通じる規定を認めることができます。

一橋大学名誉教授 弁護士
土肥 一史

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